わたしたちの教会を紹介します
1930年4月25日、志を同じくする16名が大阪住吉教会から分かれて伝道教会建設を願い出、中会の認可を受けて5月18日、伝道教会建設式が行われ、日本基督教会浪速中会に属する1つの群れとして歩み始める。1931年5月17日、現在地に会堂を得た。しばらくの間は、和歌山教会から教師石川四郎が来援し、午後の礼拝を守った。その後、神戸中央神学校在学中の中八郎、藤井重顕、そして黒沢久男らの応援を受けた。
1937年5月26日、教師試補黒沢久男が主任者として就職。1941年2月2日、教会建設式を行い、教師黒沢久男を牧師として迎えた。1951年、日本基督教団を離脱して日本基督教会(現在は日本キリスト教会と表記)創立に参加。その後、礼拝出席者の増加に応じて、会堂の増改築を重ねる。1983年4月10日、教師高松牧人を牧師として迎えた。1985年7月24日、黒沢久男牧師が死去。1990年3月25日、新会堂の献堂式を行った。2010年3月、高松牧人牧師は辞職し、1年間牧師不在の時を過ごす。その間、野木虔一教師の説教応援を得ながら、田部郁彦牧師(西都教会)の指導の下、小会は後任牧師の招聘にあたり、2011年4月、藤田英夫を牧師として迎え現在に至る。
これまでに当教会で伝道師として奉仕した牧師は槌本和子(1957〜61年)、福井重蔵(1964〜65年)、野木虔一(1967〜69年)、寺田嘉孝(1969〜70年)、高松牧人(1980〜83年)の諸氏である。
1960年には創立30年を記念して『三〇年史』を、1980年には『三〇年史』を改定、増補する形で『五十年史』を刊行した。さらに2001年には創立70年を記念し、『大阪姫松教会の歩み1980−2000』を刊行した。また1984年には黒沢久男牧師説教集『慰めに満ちたる神』を、1986年に黒沢久男牧師記念集『宣教の愚かに徹して』を刊行している。 『日本キリスト教会便覧』から
牧師紹介
藤田英夫
1963年、徳島生まれ。大学卒業まで徳島で過ごした後、日本キリスト教会神学校に入学し、1990年卒業。その後、長崎(1990〜2002年)、福岡筑紫野(2002〜2011年)で奉仕した後、2011年から大阪姫松教会に赴任。
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